銀河英雄伝説 Novels

ミュラー列伝 <I>


”第6次イゼルローン攻略戦III”


11月9日の戦いは分艦隊をV字型陣形の二段構えに編成し,同盟軍ウ
イッシュボーン分艦隊を包囲した.同盟軍ウイッシュボーン少将は苦心
の末包囲網を突破したものの,旗下3000隻のうち,1200隻を失
った.

11月14日の戦いは同盟軍キャボット少将の高速機動集団の側背を攻
撃し,壊滅状態にさせた.

11月17日
「敵前衛部隊食らいつきました」
ミュラーはスクリーンを見ながら,自機動部隊の動きを追っていた.
「よし,部隊をもう少しさがらせよ」
ヨードル准将の命令をミュラーはすぐに各艦艇の行動情報に置き換えた.
戦術コンピュータにリンクされた情報を基に各艦艇は動く.すなわち,
旗艦からの情報を基に動くことによって,機動部隊としての組織的な行
動が可能となるのである.
「敵,前衛さらに接近,また,本隊も移動しつつあります」
「部隊をさらに後退させよ」
ミュラーは目標の数値を素早く計算し,その数値から各艦艇の動きを推
定した.各艦艇毎の計算は非常に複雑な偏微分方程式になる.無論,こ
の偏微分方程式を人間が解くことはない.しかし,どの様な条件を用い
れば解けるかということは,知識や経験無くしてはできない.運用士官
の優劣はこのような数学的な才能の有無でも分かれる.そして,優秀な
艦隊指揮官というのは,数学的なセンスが必要であり,無論,ミュラー
の上司であるヨードル准将は,十二分にそれを備えていた.

「敵,目標地点に到達しました」
艦隊通信士官の報告を聞いたラインハルトは攻撃を命じた.
「ヨードル准将は見事な艦隊運用を示したな.見ろ,敵は重深陣の中に
誘い込まれたぞ」
ラインハルトは側にいたキルヒアイスに笑いながら問いかけた.
「そうですね.やはりヨードル准将は優れた才能の持ち主ですね.また,
艦隊運用のミュラー中佐も同じでしょう.」
「そうだな,先日会った時にそう感じたな.将来,ヨードルとミュラー
を旗下に加えたいものだな.」
キルヒアイスはうなずきつつ,あることを思い出していた.
夕食のとき,キルヒアイスはミュラーの名前に聞き覚えがあることを思
い出していた.ラインハルトが中佐の時,ある作戦を実行するために同
盟領へ赴いたとき,ミュラーが駐在武官でサポートしてくれていたこと
を思い出していたのである.
「貴官は2年ほど前,フェザーンで駐在武官をしておられませんでした
か?」
この問いはキルヒアイスとミュラーの二人きりになったときに問いかけ
たものである.ミュラーはちょっと驚いた顔をし,そして頷いただけで
あった.
「なるほど,思慮深い人らしい」
何も言わず頷いたということは,ラインハルト達の作戦について知って
いるということであり,それが口外できない性格のものであることを知
っているということであった.例え,当事者間であっても,口に出して
しまえばそれは機密でなくなる.
キルヒアイスはその時のことを思い出していた.
「ミュラー中佐ならたぶん大丈夫でしょう」
そうラインハルトに答えたキルヒアイスである.ラインハルトはおやっ
という顔をしたが,キルヒアイスの目をみて頷いただけであった.ライ
ンハルトもこの時にはミュラーの名前を思い出していたのである.

「敵,前衛部隊殲滅しました」
「敵,本隊後退しつつあります」
ヨードルはその報告を聞きながら,艦隊をどう動かすべきか考えていた.
ふと,ミュラーに顔を向けたとき,ミュラーが何もしないで黙って座っ
ていることに気がついた.
「なるほど,ミュラーの考えは黙って敵を撤退させることか.」
そう読んだヨードルはさて,自分ならどうするかと考え始めたが,すぐ
にそれは中断させられた.
「分艦隊司令官より命令です.敵前衛部隊を掃討しつつ,帰投せよ」
同盟軍はこの日ジャケット機動艦隊旗下2700隻のうち,前衛部隊の
800隻を失った.一連の戦闘は同盟軍にとって面白いはずがなく,こ
れらの戦闘は帝国軍にこざかしい指揮官がいるのではないかという想い
を抱かせた.

11月19日
同盟軍は8000隻の艦艇を用いた作戦を実行した.前衛部隊としてウ
イッシュボーン艦隊およびジャケット艦隊の計3700隻を配置した.
両艦隊の指揮官は先日したたかにこざかしい敵にやられた指揮官であり,
今回敵を殲滅する機会が到来したことに高揚感があった.

7時45分,ラインハルトの分艦隊は同盟軍の一角を攻撃した.攻撃し
た敵を後退しつつ引き吊りだし,その前衛部隊をさらに攻撃した.その
攻撃の戦闘にいるのはヨードル准将の機動部隊である.十分に敵を誘い
出したところで,敵の側面を逆進し背面展開をする,これがラインハル
トから示された今日の作戦案であった.ミュラーはここ十数回の戦闘で,
ラインハルトが種々の戦術を試すことが目的であることを確信した.も
ちろんその話はヨードルにも伝えてあり,ヨードル共々苦笑したもので
あった.だが,お互い種々の戦術を試すことは嫌いではない.それどこ
ろか,ヨードルはその場における状況から的確な戦術案を示すラインハ
ルトに感銘していたほどである.
「見たか,中佐.この状況であのポイントに攻撃指示をだすのだぞ.あ
のポイントは敵の艦列のウィークポイントだ.よくこの状況で判断でき
るものだ...」
ヨードルは毎回戦闘が終わった後に戦術会議を催し,旗下の機動部隊の
幕僚,士官を呼んで連日討議していた.
今日は今までに試していない側面逆進,背面展開の戦術案をラインハル
トより示されていた.連日の戦闘とその後の会議において運用に多少の
自信をもったミュラーではあるが,いざ戦闘になると今までの知識と経
験をフル動員して対処していた.
「敵背面に出ます」
「よし,作戦計画通りに展開せよ」
ミュラーは指示を受けて,すぐに各艦艇に対する配置計算を始め,出来
次第,各艦艇にデータを送付していった.

「閣下,まもなく背面展開をし終わります」
ヨードル准将は参謀から報告を受けた.ヨードルが頷き,分艦隊旗艦へ
そう報告するよう命令するその時,通信士官から叫び声が上がった.
「敵,天頂,天底,後方より攻撃!」
「敵総数4000隻!」
「前方の敵,転回します!」
ヨードルはこの時,敵の包囲網の中に分艦隊がいる事に気がついた.つ
まり,敵にまんまと乗せられたのである.
「ふむ.要するに八方塞がりか..」
そうつぶやいたヨードルはどうするかを思案した.まず,敵の包囲網の
弱い点を探す.すぐに副官に伝え,情報士官が索敵を始めた.次に,そ
こから艦隊を逃がす必要があるが,殿(しんがり)をどうするかであっ
た.
「我が機動部隊が殿かな.」
索敵情報をみつつそう思うヨードルであった.

「キルヒアイス,まんまとやられた...」
「そうですね,如何いたします」
「敵の包囲網の弱い部分は?」
「はっ,ヨードル准将より索敵結果が来ております」
「ほう,すばやいな.11時の方向か.しかし,これではヨードルの部
隊が殿になるな.」
「それについてはヨードル准将より殿の任の上申が来ております」
「ヨードル准将につなげ」
ラインハルトはすぐにヨードル准将とスクリーンで話した.
「閣下,我が機動部隊が殿を務めます.その間に分艦隊を後退させます
よう」
「卿はどうするのだ?」
「私はぎりぎりまで抵抗し,包囲網を突破します」
「うむ,卿とイゼルローン要塞で会えるのを楽しみにしている」
「はっ!」
ヨードル准将の敬礼した姿をみつつ,ラインハルトは通信を切った.
「よし,我が機動部隊は殿だ」
ヨードルは高揚した精神を抑えつつ,各所に指示をだしていた.
「まず,反転し,敵の後背に備えよ,天頂,天底の敵についても,同様
である.後背には300隻,天頂,天底方面には各々100隻を振り分
けよ」
ミュラーはヨードルの命令を実行すべく,頭と手をフル回転させている
後背方面へは戦艦100隻,巡航艦200隻を振り分け,側面に戦艦を
振り分けた.天頂,天底方面へは戦艦,巡航艦を各50隻,計100隻
づつ振り分けた.しかし,同盟軍の戦力は圧倒的であり,防御の弱い巡
航艦は1隻,また1隻と撃破されていった.その空いた穴をうめるべく,
ミュラーは後方の艦を前衛に配置すべく計算を繰り返していた.だが,
ヨードル機動部隊はその数を徐々に減らしていった.
「まだ,分艦隊本隊は逃げきれんのか?」
ヨードルは参謀に確認をしたが,参謀の答えははっきりしなかった.情
報が入り乱れ,正確なことがわからないのであった.
「敵,側面からきます!」
「本隊との距離が開きました」
「よし,部隊全体を後退させろ,たぶん,分艦隊本隊は包囲網を突破し
つつあるだろう」
ヨードルは少ない情報からそう判断をした.
「敵前面から突撃してきます!」
「主砲連射!」
旗艦ヘッツァーの艦長はそう命令していた.
「敵,側面からきます!直撃来ます!避けきれません!」
旗艦の中は騒然とした.
「何でもいいから何かにつかまれ!」
ヨードルはそう叫び,自席につかまった.ミュラーは頭を抱え,体を固
定するように部下に指示をすると自分もそれに従った.旗艦ヘッツァー
を一発の直撃弾が襲った.その直撃弾は艦橋には直撃はしなかったが,
艦橋に近いところに当たり,艦橋内部では破壊と火災が発生していた.

ミュラーが頭を持ち上げたとき,旗艦の中が破壊と火災に包まれている
ことに気がついた.横をみるとクロップ少佐が血を流して倒れていた.
レエル中尉は頭を抱えていたものの,軽傷であり震えていた.チャデア
ン中佐は左腕を押さえて唸っていた.
「大丈夫か..チャデアン..」
「卿こそ大丈夫か?頭がひどい出血だぞ.」
ミュラーはふと手を頭にやり,その手を眺めてみた.確かにひどい出血
であったが,頭は痛くない.不思議に思ってふと上をみると,指揮エリ
アの端に誰かが倒れており,その人物からおびただしい血が流れてミュ
ラーの頭上にかかっていることがわかった.チャデアンもそれがわかっ
たらしく,頷いた.
「どうやらミュラー中佐は不死身らしいな.」
「墓碑銘には合わないな.ヨードル閣下を見てくる.卿はすぐに医療班
の世話になるといい」
ミュラーは立ち上がったが,その時にはじめて足に負傷していることが
わかった.それでも動けないわけではないので,そのままヨードル准将
の指揮座に向かった.
「あっ....」
ヨードル准将の指揮座を一目見たミュラーは唸った.准将は指揮座にお
らず,指揮エリアの端にいた.正確には准将の体は左端へ,頭は右端に
合ったのである.その体から流れるおびただしい血はミュラー達の座る
運用指揮に流れ落ちていた.その他の参謀,幕僚達もほぼ同じ状態であ
った.理由は指揮エリアの上部スクリーン全体が落ちてきたためであっ
た.その衝撃で指揮エリアにいた高級士官は全滅してしまっていた.艦
長も頭から血を流して倒れていた.ミュラーはすぐに艦長席から医療班
を呼んだ.そして,機動部隊の様子を確認始めた.まず,副機動艦隊指
揮官であるレジエ大佐を呼んだ.しかし,その努力も虚しくすでにレジ
エ大佐は戦死をしていた.この時,ヨードル艦隊は壊滅状態に陥ってい
た.このままでは残った艦艇も掃討されてしまうおそれがあった.
「この艦橋で動けるものは?」
艦隊運用士官は5人,旗艦運用士官は6人であった.幸いにも旗艦の副
長である少佐が軽傷であったので,旗艦の運用を少佐に任せた.ミュラ
ーは艦隊運用席に付き,無事な士官と共に各艦に命令を発し始めた.
「中佐,良いのですか?勝手に運用命令をだして」
「かまわん,このままでは機動部隊の残りも掃討されてしまう.私が責
任をとるからまずは各艦の戦術コンピュータとの通信を確保し,それを
確認せよ.その後,後退をするが,戦艦を全面に押し立て,巡航艦をそ
の間に配置せよ.いいか,後退は徐々に行い,頃合いをみて,転回し全
速で逃げるぞ.少佐,この艦は最期に逃げるようにしてくれ.」
「はっ,中佐殿」
副長である少佐はすぐに命令を実行すべく,艦を操作し始めた.ミュラ
ーの部下達は残った艦艇82隻を確認し,その運用指揮を取り始めた.
「よし,2時のポイントに火砲を集中するように命令をつたえるんだ」
「現在位置から約200万キロ後退せよ」
ミュラーは徐々にではあるが,同盟軍の包囲網から抜けつつあった.
「よし,今だ!転回し,全速で包囲網を突破せよ!全艦ミサイルを全方
位網に向けて撃て!」
ミュラーの命令の元に各艦艇は転回する際にミサイルを撃ち,全速で包
囲網から突破した.

「レエル中尉,突破した艦はどのくらいだ?」
「はっ,78艦であります.」
「そうか,ところで,ミューゼル閣下は?」
「すでに包囲網を突破していますが,我が機動部隊と合流するために速
度を落としております.」
「わかった.すぐに本隊と合流しよう.それが先決だ.それからあとは
後のことだ.」
ミュラーはそう言い残すと,指揮エリアを見上げた.今だヨードル准将
の体はエリアの縁に残ったままであった.
「兎に角,少将に報告をしなければな.しかし,勝手に指揮をとったか
らな.軍法会議ものかな」

「キルヒアイス,やられた..敵は我々の行動を見透かしていたようだ」
ラインハルトハ結局旗下の艦隊3000隻のうちこの戦いで800隻を
失った.特に損害がひどかったのがヨードル機動部隊であり,500隻
のうち,400隻強が失われ,かつ,ヨードル准将まで戦死した.ライ
ンハルトは焦燥感に襲われ,今後どのようにすべきか少し迷っていた.
「閣下,ヨードル機動部隊主任運用士官のミュラー中佐が面会を求めて
おりますが?」
通信士官の報告にラインハルトは首を傾げた.
「ミュラーが?」
「ミュラー中佐は壊滅寸前の機動艦隊を指揮し,包囲網脱出を果たしま
した.その報告だと思いますが.」
「よし,合おう,ただしイゼルローンに帰投してからだ.それまでは気
が抜けない.ミュラーにそのまま機動部隊を統率するように言ってくれ」
「わかりました」
キルヒアイスはその命令を通信士官へ伝えた.


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